配置関係と同配置に建てられた <大坂城・建築・歴史>

元和期天守徳川氏が再建した大坂城の天守は、現在見られる復興天守の位置とほぼ同じである。

江戸城の本丸・初代天守の配置関係と同配置に建てられたと見られている。

天守台は大天守台の南に小天守台を設けているが小天守は造られずに、天守曲輪のような状態であった。

天守へは、本丸御殿からの二階廊下が現在の外接エレベータの位置に架けられていた。

建物は独立式層塔型5重5階地下1階で、江戸城天守を細身にしたような外観で、白漆喰塗籠の壁面であったとみられている。

最上重屋根は銅瓦葺で、以下は本瓦葺であったという。

高さは天守台を含めて58・32メートルあったとみられている。

このことから江戸城の初代天守の縮小移築との説もある。

天守の図面は、内閣文庫所蔵の「大坂御城御天守図」と、大坂願生寺所蔵の「大坂御天守指図」の2つがある。

2つの指図は相違しており、内閣指図の外観は二条城天守とほぼ同じ破風配置で願生寺指図の外観は名古屋城天守や江戸城天守とほぼ同じ破風配置である。
update:2010年03月08日